横須賀功光
Noriaki YOKOSUKA
横須賀功光は、日本大学芸術学部写真学科在学中から、資生堂のクリエイティブスタッフと共に現代的かつ斬新な広告表現で注目を浴び、卒業(1961年)と同時にフリーランスとして活動を始め、その後40年余に亘って広告写真のリーダーの一人として国際的にも活躍し、高く評価されました。
これらの広告写真群は、昭和の広告史の中で多くの不朽の作品として大きな意味を持つものです。1963年に資生堂の広告キャンペーンで日宣美奨励賞、ADC特別賞、毎日デザイン広告特別賞を同時に受賞。1964年にアートディレクター中村誠氏と共に「メイクアップ・トーキョー」を、1966年にはグラフィックデザイナー石岡瑛子氏と共に「太陽に愛されよう」など一連の広告写真を発表し、この世界に新しい時代を築きました。さらに、1983年には日本人初のイタリアヴォーグ、フレンチヴォーグのフリーランススタッフカメラマンとなって世界に羽ばたいています。またTV-CF作品においても、1975年にサントリーウィスキー(サミーデイビス.jr編)TV-CFが、カンヌ映画祭CM部門グランプリを受賞。1981年にカンヌ映画祭CM部門銅賞を受賞しました。 横須賀功光は、広告写真家とは別に、写真作家として数々の創作活動を行ってきました。1963年に「モード・イン」「黒」に対して日本写真協会賞新人賞、日本写真批評家協会新人賞を受賞。60年代、70年代に「射」「亜」「檻」「壁」を発表。80年代に山口小夜子を被写体に「小夜子」「月」を発表し、講談社出版文化賞を受賞。1989年に「光銀事件」が伊奈信男賞を受賞。90年代に世界的に評価の高いバウハウスのオスカーシュレンマーの舞踏トリアディック・バレーをカラーソラリゼーションで表現した「時間の庭」、20世紀初頭の技法プラチナプリントを用いた「エロスの部屋」、写真技法を総動員し制作された「光学異性体」を発表。また未発表作品として、独自に制作されたオブジェを捉えた「マンレイ・オマージュ」等があります。
(Image by Taichi Hiratsuka)