記録
開廊時間|火〜土 11:00–19:00 (土 13:00–14:00 CLOSED)
休廊日|日・月・祝日
※8月7日(日)〜15日(月)は夏期休廊致します。
※新型コロナウイルスに関する状況により会期や内容を変更する可能性があります。
ご好評につき、会期を10月15日(土)まで延長致しました。
ぼくにとって、記録はライフライン。電気、水道、ガスと同じで、なくてはならないもの。記録の存在があるから一歩が踏み出せる。常に自分を振り返ることが出来るパーソナルメディア。
-森山大道
森山大道の『記録』とは、「⽇常で撮ったものをすぐに焼いて、近くの⼈たちに⼿渡しで⾒せるという最⼩限のメディアを」と模索する中、1972年に始められた私家版写真誌です。翌年の第5号をもって⼀時休刊となりましたが、2006年にAkio Nagasawa Publishingより復刊。現在も継続刊⾏中です。
本展では、『記録』1号〜50号に収録の約5,000点全カットを、7台のプロジェクターを使用しスライドインスタレーションとして展覧致します。また、これまで発売された全ての『記録』(在庫がある号のみ)を販売予定です。
常に現在進行形の森山大道の活動を体感ください。
※同時期、6月9日(木)より、Akio Nagasawa Gallery Aoyamaでも「記録」展を開催致します。
『記録』50号からの作品を中心に展覧致します。是非あわせてご覧いただければ幸いです。
詳細はこちら
<Aoyamaでの「記録」展は終了致しました>
アーティスト
森山大道
Daido MORIYAMA
1938年大阪生まれ。写真家・岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て1964年に独立。写真雑誌などで作品を発表し続け、1967年「にっぽん劇場」で日本写真批評家協会新人賞受賞。1968-70年には写真同人誌『プロヴォーク』に参加、ハイコントラストや粗粒子画面の作風は“アレ・ブレ・ボケ”と形容され、写真界に衝撃を与える。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館やパリ・カルティエ現代美術財団で個展を開催するなど世界的評価も高く、2012年にはニューヨークの国際写真センター(ICP)が主催する第28回インフィニティ賞生涯功績部門を日本人として初受賞。2012年、ウィリアム・クラインとの二人展「William Klein + Daido Moriyama」がロンドンのテート・モダンで開催され、2人の競演は世界を席巻した。2016年、パリ・カルティエ現代美術財団にて2度目の個展「DAIDO TOKYO」展を開催。2018年、フランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」が授与された。2019年、ハッセルブラッド財団国際写真賞受賞。
2021年、パリのMEP(ヨーロッパ写真美術館)にて東松照明との二人展「Tokyo: 森山大道+東松照明」を開催。2022年、アムステルダムやローマ、サンパウロ、北京で個展を開催するなど、現在も精力的に活動を行っている。
出版物
記録50号
昨年12月初旬のたそがれ時、ぼくは銀座のAKIO NAGASAWA PublishingでYACOさんという名の一人の女性と会った。そのころぼくはよく、「記録」も街頭や路上スナップばかりじゃなくてさ、ときには女のひとの写真も写してみたいよねー、なんて云っていたので、じゃあということで長澤章生さんがYACOさんを連れてきてくれたわけである。彼女と会って、しばらくあれこれと話しているうちに、ふとそれとなく彼女が持つ感性の在りようが伝わってくるので、よし、オレはこのさいYACOさんで「記録」作っちゃうぞ、と決めてしまった。
そうと決まれば話は早いわけで、ぼくはそのままYACOさんを宵の銀座や有楽町のあちこちをラフなコート姿のまま連れ回して撮りついでいった。折から街は、クリスマスのイルミネーションで華やかな背景だったし、写されるYACOさんの反応も自在でフレキブルだったので、ぼくは2時間足らずで撮影を了えてギャラリーに立ち戻った。
そして、しばし休息をしてもらったのち、ギャラリー上下の2フロアを使って裸を撮らせてもらった。YACOさんはさらりと脱いでくれたうえ、ぼくがどうのこうのと言うまえに、ごく自然にさり気なくポーズを決めてくれるので、ぼくはそれにつれてただシャッターを押しつづければいいわけで、ほぼ2時間足らずで全てが終了した。
きっと、この宵の写すものと写されるものの記録と記憶は、さりげなく「記録」のページとなって反映されるはずだ。
「記録」誌が、YACOさんの1冊特集になったことは、ぼくの思いがたとえそこに在ったとしてもやはり異例のことだったのかもしれない。まあ、そんなこと別にどうということではないのだが、50号は特例ということにしておいて、再び元のペースに立ち戻ろうと思う。歩く、見る、撮る、ぼくに結局これしかない。先日、長澤さんと鎌倉の喫茶店でお会いしたとき、彼はさらりとモリヤマさん「記録」100号行きましょうね。と云ってくれた。ぼくもさらりと有難うと応えていた。長澤さんの「記録」への気持ちが嬉しかったのだ。しかし、51号、52号とひとこまひとこまと進めていく他はない。とにかく現在(いま)のぼくにとって「記録」誌は、ぼくの写真のライフ・ワーク、ライフ・ラインに他ならないのだから…。
-森山大道 あとがきより
記録49号
<犬捕りの目冬日に定まらず>
亡き写真家・井上青龍 さんが詠んだ俳句で、ぼくが好きな一句である。いかにも井上さんの風姿を彷彿とさせる情景で、井上さんが写した数多くの路上写真の全てがこの句に集約されているとぼくには思える。昭和30年代の、大阪・釜ヶ崎(西成地区)一帯に拡がる通称“ドヤ街”に棲息する幾多の人々の日常の光景や情景を、ハンドカメラで生々しく写し撮ったドキュメンタリスト井上青龍さんの、魅力的で精悍な姿が、今でもぼくの瞼の向うに映り見えている。
現在から60余年もまえ、大阪で写真の世界に飛びこんだばかりのぼくに、井上さんは“路上とは何か”をリアルに教えてくれた。それも、言葉でというのではなく、素早く釜ヶ崎を写し撮る井上さんの後姿を目に焼き付けるかたちで、ぼくは否応なく街路への道を刷り込まれていったのだ。
そして、その後上京したぼくは、細江英公師のもとで3年間のアシスタント時代を過ごしたあと、24才でフリーカメラマンとなり、以降現在に至るまでの60年間というもの、ぼくが写す写真のフィールドは、じつに<路上>以外のなにものでもなく、そして在りし日の井上青龍さんの後姿は、若き時のぼくにとって、限りなくリアルにチャーミングに、ぼくを街路へと連れ込んでくれたのであった。
<幾人か足音消えし紫木蓮> 青龍
「記録」49号では渋谷の路上を撮った。
これまでにも渋谷のスナップは数多く写しているが、なぜか渋谷の雑踏の中に紛れていたい、人ごみの街頭にカメラを手に身を置いていたい思いに捉われていたのである。ただひたすら路上をうろついて、往き交う雑多な人々にレンズを向けて通り過ぎていたいと思うばかりであった。そして都合3日間渋谷を歩き廻って、ひとまず気が済んだというわけだったが、これで良かったんだよね、井上さん。
-森山大道 あとがきより
記録48号
先夜、ふとその気になって横須賀に出掛けた。8時を過ぎていたが、京浜・横須賀中央駅裏の飲み屋街<若松マーケット>は、うちつづくコロナのもと、あの賑わう店々の灯りがすっかりと消え去って、人影もまばらな、ただ仄暗い夜の路上と化していて、酔客の群れなどどこにも見つからなかった。ぼくは辺りの暗がりに向けて10数枚シャッターを切っただけで大通りに出ると、足は自然と<ドブ板通り>の方へと向かうことになる、しかしそのドブ板通りの灯りの点く店はまばらで、通りすがる人影もうすく、ただただ寂しいばかりだった。
ぼくは心の内で呟いた。それはそうだ、若かったぼくが、カメラを手にうろつき歩いたあの頃の横須賀は、もうとうに半世紀以上もまえの、あのベトナム戦争まっ只中の<ヨコスカ>の街だったわけだから…。
ぼくが、自らの写真の方向を、ストリート・スナップの方へとはっきり定めて写したのが横須賀であり、フリーカメラマンとなって一年目、25才のときだった。“絶対「カメラ毎日」誌に写真を持ちこんで、必ず掲載してみせるぞ” と、一人決意し意気ごんで撮りはじめたことを覚えている。そして、それからはカメラを片手に連日横須賀の街から町へ、大通りから路地裏へとうろつき歩いてシャターを押しまくる日々だった。
もともと基地の街の在りようは子供の頃から知っていたし、ぼくの体質にも合っていたわけで、横須賀を写すことの面白さも、相反する怖さも、ぼくは撮りたい一心で乗りこえていたと思う。
たった二日余りの撮影にしか過ぎなかったが、半世紀という時の経過による横須賀という街の変容と、そこを通りすがる現在(いま)のぼくが感応する、どこかよそよそしい街の景色との間に、時間と時代の変容が写し出されているのかもしれない。
−森山大道あとがきより
記録47号
パリの写真美術館「MEP」での東松照明・森山大道二人展は、コロナのこともあって開催が遅れに遅れていたが、このほどようやく開館の動きがあったようだ。
森山クン、ぼくと一緒に東京をテーマにした二人展をやる気はないかね?と東松さんから声を掛けてもらったのは、ぼくが撮影もかねて沖縄に行ったときのことである。ぼくもずいぶん数多くの展示を経験しているが、東松さんとの展覧会は初めてである。それも東松さんからのプランであれば、ぼくとしても断る理由がない。いいですね、ぜひそれぞれの写真を面白くシャッフルして迫力のある壁面が出来ると最高です、とぼくは応えた。しかし、その二人展のプランは、一年余りの時を経たあと東松さんが亡くなられるという思ってもみなかった事態によって中断を余儀なくされてしまった。ぼくとしては、東松さんとの二人展の開催は願ってもないことだったので、残念だったし気落ちもした。しかし、それから数年経った現在、その東松さんのプランは、思いもかけない経緯を辿ったのち、時と所を得たというか、むしろそれぞれにとって、二人展にとって、最良のスケールとスペースを与えてもらったと思う。
そして、東松さんの「二人展」への思いはそのまま海を越えて、このほどパリ展の形で実現をすることになった。「MEP」の館長サイモン・ベイカーさんと、AKIO NAGASAWA Galleryの長澤章生さんのお二人による企画、制作、構成によって、頭初のシャッフル形式ではなく、それぞれ相当数の写真作品による大がかりな二人展でということになった。つまり規模を持った「東京」展が開催されるわけである。コロナ蔓延の現在、ぼくたちの二人展が、パリの、そしてヨーロッパの人々にどのように観てもらえるのであろうか。
それにしても、言い出しっぺの東松照明さんには、ぜひパリで見てもらいたかったのに…。
今号の「記録」47号は、過日ふと東京タワーを見かけて一枚撮ったことで、その周辺に拡がるあちこちの街区を写し回ったものだ。いうまでもなく、今号も”マスク都市景”というわけだ。
記録(Akio Nagasawa Edition)
「日常で撮ったものをすぐに焼いて、近くの人たちに手渡しで見せるという最小限のメディアを」と模索する中、1972年に始められた私家版写真誌『記録』。翌年の第5号をもって一時休刊となりましたが、2006年に復活し、現在も継続的に刊行されています。
本書は『記録』1号~30号のダイジェスト版となります。オリジナルと同じサイズで再現されており、森山自身の後書きも収録、収録点数は280点にも及びます。
森山大道の原点とも言える『記録』。
写真家として歩んできた森山の長い道のりをお楽しみください。