WITHERED FLOWERS REVERSE
開廊時間|木〜土 11:00–13:00, 14:00–19:00
休廊日|日〜水・祝日
※夏期休廊|8月10日(木)、11日(金・祝)、12日(土)
※新型コロナウイルスに関する状況により会期や内容を変更する可能性があります。
この度、Akio Nagasawa Gallery Aoyamaは、⽥島⼀成個展「WITHERED FLOWERS REVERSE」を開催致します。
⽥島⼀成は1968年東京都⽣まれ、主にファッション写真の分野にて第⼀線で活躍する写真家です。⼀⽅で、枯れゆく花の写真を撮り続けており、その作品は個展「WITHERED FLOWERS」(2020年)や「WITHERED FLOWERS BLACK」(2022年)にて初めて発表され話題となりました。
Akio Nagasawa Gallery Aoyamaで3回⽬の開催となる本展では、⾃⾝が撮影した花の画像を使⽤し、⾊相を反転したコラージュ作品「WITHERED FLOWERS REVERSE」(新作)を展覧致します。また、開催にあわせてAkio Nagasawa Publishingより同名写真集を刊⾏致します。
この機会に是⾮ご⾼覧下さい。
今回の作品は、過去二回のカラーとモノクロの花の作品を素材として制作した。
雑多な物が同じ作品の中に混在するコラージュ作品と違って自分が撮影した花だけを使ったコラージュ作品。モノクロの花を素材として制作は始まったがどうしても花と花を接合させてしまいたくなる。コラージュは自由なのだが花それそれが点在するとどうもしっくりこない。結果それが自分の手癖というものなのかもしれない。日々の制作の過程でカラー写真をネガ像に反転してみると色彩も印象も新鮮なものになった。ケネス・アンガーの映像作品や、エルヴィ・ディ・ローザなど80年代のニューヨークのアンダーグラウンドアーティスト達の色彩を思い出し、自分が最も影響を受けた色彩感覚が今も自分の中に存在している事を確認した。そうして、カラー、モノクロ、ネガ像(REVERSE)の花の三部作が出来た。撮影した花の写真を自分らしいトーンに仕上げて完成させるという今までの作業とは違って、無限に自由で制約の一切ない今回の制作は楽しくもあり、苦しくもあった。制作過程の前半に途中で行き詰まるのではないかと懸念したが、制作し続けるほど自分の脳があるゾーンに入り込みそれを楽しむ事が出来た。ある意味でこの作品は、ストレートな写真作品よりも色濃く自分の個性が滲み出しているのだと思う。この作品を自分をアートの世界に誘ってくれた人生の師、坂本龍一さんに捧げる。
-田島一成
写真集同時発売
『WITHERED FLOWERS REVERSE』(Akio Nagasawa Publishing)
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アーティスト
田島 一成
Kazunali TAJIMA
1968年 東京都生まれ。
写真家・五味彬氏アシスタントを経て独立後、1989年からパリ、ニューヨークで活動。
2002年から東京を拠点に、広告、ファッションを中心に、音楽系やTVコマーシャルにも活動の場を広げる。
1997年 American Photographie Annual(アメリカ写真年鑑)掲載。2007年、2013年ADC賞受賞。
出版物
WITHERED FLOWERS REVERSE
今回の作品は、過去二回のカラーとモノクロの花の作品を素材として制作した。雑多な物が同じ作品の中に混在するコラージュ作品と違って自分が撮影した花だけを使ったコラージュ作品。モノクロの花を素材として制作は始まったがどうしても花と花を接合させてしまいたくなる。コラージュは自由なのだが花それそれが点在するとどうもしっくりこない。結果それが自分の手癖というものなのかもしれない。日々の制作の過程でカラー写真をネガ像に反転してみると色彩も印象も新鮮なものになった。ケネス・アンガーの映像作品や、エルヴィ・ディ・ローザなど80年代のニューヨークのアンダーグラウンドアーティスト達の色彩を思い出し、自分が最も影響を受けた色彩感覚が今も自分の中に存在している事を確認した。そうして、カラー、モノクロ、ネガ像(REVERSE)の花の三部作が出来た。撮影した花の写真を自分らしいトーンに仕上げて完成させるという今までの作業とは違って、無限に自由で制約の一切ない今回の制作は楽しくもあり、苦しくもあった。制作過程の前半に途中で行き詰まるのではないかと懸念したが、制作し続けるほど自分の脳があるゾーンに入り込みそれを楽しむ事が出来た。ある意味でこの作品は、ストレートな写真作品よりも色濃く自分の個性が滲み出しているのだと思う。この作品を自分をアートの世界に誘ってくれた人生の師、坂本龍一さんに捧げる。
田島一成 あとがきより(一部抜粋)
個展情報はこちら
WITHERED FLOWERS
枯れた花が好きだ。だけどいつも思うのは、花は茎から切りはなされた時、あるいは土とのつながりを断たれ た時、すでに死んでいるのだ。だから、一見美しく生けられた花もすでに死んでいるわけで、その先に枯れるということがある。枯れるといえば、当然僕ら人間が枯れるということに考えが及ぶので、僕のように枯れてきたということは、花のことを考えてみれば、すでに土とのつながりを絶たれているということかもしれない。僕はファッション写真というものが、写真というアートと独立して存在しているということを、このタジイマックスの写真集で初めて知った。そして彼があくまでファッション写真を撮る、ということに矜持のようなものを感じていることも。枯れた花は美しい。なぜ美しいと感じるのか。やはりそれは僕らがそこに無常を見るからに他ならないだろう。花は生死の事実を美しく見せてくれるのだ。そもそも花はなぜ美しいのか。ある学者によると、それは花が美しくあって、昆虫や僕らを楽しませたいからなのだという。僕はそれを信じる。
-坂本龍一 あとがきより
これらの写真群は一般的な美しい花の写真では無いかもしれないが、他者の視点や感覚を一切排除して自分の心に正直に撮ったものである。
-田島一成 アーティストステートメントより
WITHERED FLOWERS(特装版)A
写真集『WITHERED FLOWERS』にオリジナルプリント1点が付いた特装版。
プリント裏面にサイン&エディションナンバー入り。プリントは3種類のイメージよりお選びいただけます。各限定20部。
枯れた花が好きだ。だけどいつも思うのは、花は茎から切りはなされた時、あるいは土とのつながりを断たれ た時、すでに死んでいるのだ。だから、一見美しく生けられた花もすでに死んでいるわけで、その先に枯れるということがある。枯れるといえば、当然僕ら人間が枯れるということに考えが及ぶので、僕のように枯れてきたということは、花のことを考えてみれば、すでに土とのつながりを絶たれているということかもしれない。僕はファッション写真というものが、写真というアートと独立して存在しているということを、このタジイマックスの写真集で初めて知った。そして彼があくまでファッション写真を撮る、ということに矜持のようなものを感じていることも。枯れた花は美しい。なぜ美しいと感じるのか。やはりそれは僕らがそこに無常を見るからに他ならないだろう。花は生死の事実を美しく見せてくれるのだ。そもそも花はなぜ美しいのか。ある学者によると、それは花が美しくあって、昆虫や僕らを楽しませたいからなのだという。僕はそれを信じる。
-坂本龍一 あとがきより
これらの写真群は一般的な美しい花の写真では無いかもしれないが、他者の視点や感覚を一切排除して自分の心に正直に撮ったものである。
-田島一成 アーティストステートメントより
WITHERED FLOWERS(特装版)B
写真集『WITHERED FLOWERS』にオリジナルプリント1点が付いた特装版。
プリント裏面にサイン&エディションナンバー入り。プリントは3種類のイメージよりお選びいただけます。各限定20部。
枯れた花が好きだ。だけどいつも思うのは、花は茎から切りはなされた時、あるいは土とのつながりを断たれ た時、すでに死んでいるのだ。だから、一見美しく生けられた花もすでに死んでいるわけで、その先に枯れるということがある。枯れるといえば、当然僕ら人間が枯れるということに考えが及ぶので、僕のように枯れてきたということは、花のことを考えてみれば、すでに土とのつながりを絶たれているということかもしれない。僕はファッション写真というものが、写真というアートと独立して存在しているということを、このタジイマックスの写真集で初めて知った。そして彼があくまでファッション写真を撮る、ということに矜持のようなものを感じていることも。枯れた花は美しい。なぜ美しいと感じるのか。やはりそれは僕らがそこに無常を見るからに他ならないだろう。花は生死の事実を美しく見せてくれるのだ。そもそも花はなぜ美しいのか。ある学者によると、それは花が美しくあって、昆虫や僕らを楽しませたいからなのだという。僕はそれを信じる。
-坂本龍一 あとがきより
これらの写真群は一般的な美しい花の写真では無いかもしれないが、他者の視点や感覚を一切排除して自分の心に正直に撮ったものである。
-田島一成 アーティストステートメントより
WITHERED FLOWERS(特装版)C
写真集『WITHERED FLOWERS』にオリジナルプリント1点が付いた特装版。
プリント裏面にサイン&エディションナンバー入り。プリントは3種類のイメージよりお選びいただけます。各限定20部。
枯れた花が好きだ。だけどいつも思うのは、花は茎から切りはなされた時、あるいは土とのつながりを断たれ た時、すでに死んでいるのだ。だから、一見美しく生けられた花もすでに死んでいるわけで、その先に枯れるということがある。枯れるといえば、当然僕ら人間が枯れるということに考えが及ぶので、僕のように枯れてきたということは、花のことを考えてみれば、すでに土とのつながりを絶たれているということかもしれない。僕はファッション写真というものが、写真というアートと独立して存在しているということを、このタジイマックスの写真集で初めて知った。そして彼があくまでファッション写真を撮る、ということに矜持のようなものを感じていることも。枯れた花は美しい。なぜ美しいと感じるのか。やはりそれは僕らがそこに無常を見るからに他ならないだろう。花は生死の事実を美しく見せてくれるのだ。そもそも花はなぜ美しいのか。ある学者によると、それは花が美しくあって、昆虫や僕らを楽しませたいからなのだという。僕はそれを信じる。
-坂本龍一 あとがきより
これらの写真群は一般的な美しい花の写真では無いかもしれないが、他者の視点や感覚を一切排除して自分の心に正直に撮ったものである。
-田島一成 アーティストステートメントより
WITHERED FLOWERS BLACK
モノクロ写真は特殊だ。写真の歴史は、モノクロ写真で始まったが本来我々が目で見ているのはカラー像であり、裸眼でモノクロ像を見ることはない。かなり特異な世界だ。もしも最初からフィルムがカラーだったらモノクロ映像というものは世の中に生まれなかったのかもしれない。それでも我々写真家はそんなモノクロの魔力に魅せられる。そのシンプルでモダンでシャープなイメージに。枯れた花の持つたたずまい、皺のよった皮膚のような質感、ムード、その美しさの細かなディテールを自分流に表現したくて、7年間花が枯れるのを待っては撮影を続けている。何故人は花に惹かれるのだろうか。その美しい造形や色彩は、花が人間を魅了して利用する為なのだろうか。(中略)今回はモノクロ像の方がカラー像よりも魅力的に見えるように入念にライティングを工夫しながら撮影した。カラーの花の写真に比べてより写真的な表現に、つまり“花”を表現するつもりが“写真”を表現する作品になったのかもしれない。 田島一成 あとがきより(抜粋)