サイン入り
記録41号
サイン入
それはそれとして、ぼくはここ十年近く映画館に入ったことがない。
べつに映画嫌いということでもないのだが、そうなってしまった。それに、テレビでもDVDでも飛行機でもそうなのだ。我ながらいぶかしい。
若い頃はそれでも、なんだかんだと結構映画館のシートに座ってスクリーンに惹かれていたのだったのに。
つまりその頃、中平卓馬はゴダールだったし、ぼくはフェリーニだった。どちらかが誘うかたちでよく二人で観にも行っていた。それにしても、なぜこうも、映画館から、映画から、こうも遠く離れてしまったのか、自分でもよく分らない。
ところで先日、ぼくはある人から「あなたが好きなこの一本ていう映画は何ですか」と尋かれて、ぼくはしばしとまどってしまった。それはぼくだって日本映画の2~3本や外国映画の2~3本くらい記憶に残る映画はあるわけだが、質問のニュアンスと微妙に違う気がして考えこんでしまったわけだ。そして、ややしばし思い惑ったうえで、ふと脳裏に浮上してきたのがデビット・リンチの『イレイザーヘッド』だった。
つまり、ぼくにとって映画とはこの一本だった。
もう遠の昔に観たものでストーリーやディティールなど判然としないのだが、とにかく「暗かった」。スクリーンに映る光も影も何もかもが暗かったという記憶しかなかった。あそこまでエタイの知れない「暗がり」は、もうぼくの臓腑の底のシミとなって消えることがない。そしてぼくは、その一本の映画をもう二度と観ることはないと思う。
ただ、その一本の映画の存在と、ぼくが長い間映画を観なくなってしまったこととは、別に何の関係もない。
きっと、日々経年、都会の街区や路地に入れこみかまけすぎて、中毒症状となったあげく、さまざまな他のキャパシティが消失しつつあるのではないか。
-森山大道 後書きより一部抜粋
- 判型
- 280 x 210 mm
- 頁数
- 104頁
- 製本
- ソフトカバー
- 発行年
- 2019
- 出版社
- Akio Nagasawa Publishing
森山大道
Daido MORIYAMA
1938年大阪生まれ。写真家・岩宮武二、細江英公のアシスタントを経て1964年に独立。写真雑誌などで作品を発表し続け、1967年「にっぽん劇場」で日本写真批評家協会新人賞受賞。1968-70年には写真同人誌『プロヴォーク』に参加、ハイコントラストや粗粒子画面の作風は“アレ・ブレ・ボケ”と形容され、写真界に衝撃を与える。
ニューヨーク・メトロポリタン美術館やパリ・カルティエ現代美術財団で個展を開催するなど世界的評価も高く、2012年にはニューヨークの国際写真センター(ICP)が主催する第28回インフィニティ賞生涯功績部門を日本人として初受賞。2012年、ウィリアム・クラインとの二人展「William Klein + Daido Moriyama」がロンドンのテート・モダンで開催され、2人の競演は世界を席巻した。2016年、パリ・カルティエ現代美術財団にて2度目の個展「DAIDO TOKYO」展を開催。2018年、フランス政府より芸術文化勲章「シュヴァリエ」が授与された。2019年、ハッセルブラッド財団国際写真賞受賞。
2021年、パリのMEP(ヨーロッパ写真美術館)にて東松照明との二人展「Tokyo: 森山大道+東松照明」を開催。2022年、アムステルダムやローマ、サンパウロ、北京で個展を開催するなど、現在も精力的に活動を行っている。